お正月03

生まれも育ちも北海道だった私は雪景色の印象ばかりです。でも結婚して東京に住んだとき3年間雪が降らなかったんです。当然クリスマスもお正月も美しい白が全くないので すごく物足りない感じをしたのを覚えています。4年目の冬にみぞれのような雪がようやく降ったとき、 駐車場にうっすら残った雪で 砂交じりの真っ黒な雪だるまを子供たちが嬉々として作っていたのを見て 「あーそれだけ雪だるまを作りたいと渇望していたんだな」と心から感じました。北海道に連れて行ってあげて 真っ白でふっくらとした美しい雪だるまを何体でも一緒に作ってあげたいなと思ったことをいまだにはっきり覚えています。
結婚して初めて旦那様の実家での正月でのこと。旦那様は3人兄弟。毎年、『お寿司』『カニ』『おせち』と分担制で持ち寄ってるらしくて・・・まさかの『おせち』担当に作るのもなぁ。と思ってネットで値段を見てみたらビックリ。2万円・・・。しかも取り寄せたらみんなお寿司とかにばっかりでまったくおせちの存在がなかったです。そもそもおせちは3日かけて食べるものなのになとちょっと不思議な嫁ぎ先だと思っちゃいました。
父親が忠臣蔵好きだったので、毎年忠臣蔵を見ることになりました。同じ結末なのに何が楽しみなのか未だによくわかりませんが、忠臣蔵を見ると父親を思い出します。
何かと忙しい年末年始。大掃除、お節の準備。門松作りなど子供心にも思い出はたくさんありますが、私は餅つきが一番記憶に残ってます。幼少の頃は電気餅つき機などある筈も無く「杵と臼」です。ただ見てるだけの歳から年々手伝う様になり、成長に合わせるようにつき始めました。お正月用の餅は何回かに分けて沢山作ったのを覚えてます。鏡餅も大きかったですし、お婆ちゃんを慕って毎年伯父さん、伯母さんが来ます。帰りに手土産にしてたのでしょう。お婆ちゃんと二人で作った事もありました。大汗掻いて搗きたての餅を二人で食べた時、目尻が下がったお婆ちゃんのあの笑顔が今も忘れられません。
子供のころ、釧路に住んでいました。いまでこそ炭鉱が閉鎖され、失業保険受給率が高いことで知られるようになってしまいましたが、当時は炭鉱で働く人が多く、活気ある町でした。炭鉱で働く人やその家族しか入れないお店もあり、私の親は教師でしたので、羨ましく思ったものです。お正月には鮭やいくらなどの海産物、おもちをお腹いっぱい食べました。今は一年中なんでも食べられる時代ですが、当時はごちそうでした。いい思い出です。
家族全員で紅白歌合戦を見て、そのあと食べたおもちがおいしかった。
私は元旦生まれなのでお正月はとても思い出深いです。小さい頃は、お誕生日プレゼントをもらい、お年玉をもらい、おせちを食べてケーキも食べるというとても1年の初めから豪華な日でした。
そうじ、おせち作りと大忙しの大晦日から数時間眠っただけで元日…。ゆくっり眠りたいけれどお正月そうそう寝坊はできず、雑煮に作りが事始め。毎年同じお正月。
しばらくツイてなかった友達と数年前の元旦になってすぐに初詣に行って、帰りにコンビニからでたら、でっかいネズミが横切って友達の足の上を走って行きました。友達は腰を抜かし泣き叫んで「さっきお参りしたばっかりなのに新年からツイてないやん!」と言ってましたが、しばらくしてその年に生まれて初めての彼氏ができたと喜んでいました(^^)
来年の元旦は息子の初めてのお正月です。去年まではそれぞれの実家の親と過ごすことが多かったですが、これからは親子3人新しいお正月の過ごし方が始まると思うと、楽しみです☆
子供のころ、家族5人でよく遊びました。毎回、クリスマスにサンタさんからもらったゲームで、遊びます。ある年は、「人生ゲーム」など、ボードゲームが中心でした。毎年その新しく増えたゲームと、トランプ遊びをして過ごしました。合間に、食べるのはちょっと贅沢なお菓子。たとえば、エコルセとか。普段のおやつとは違う、デパートのお菓子でした。今思えば、サンタさんは、お正月を意識してプレゼントを選んでくれていたのですね。
子供の頃のお正月は、祖父の家に父の兄弟一家が集まり、飲んだり食べたり歌ったりと、大騒ぎし、お年玉も一杯貰って、楽しかったです。今はいとこもそれぞれの家庭で過ごし、むかしみたいな賑やかさはありません。懐かしいです。
誰も来ず、どこへも行かず、ラジオ漬けでした。やがてそれがテレビ漬けに変わりました。そして、いま余生という位置で新年を迎えようとしています。
おばあちゃんが毎年作ってくれたポテトサラダが大好きでした。なかなか同じ味が出せません。。
私の母が母から教わったお煮しめを毎年作っていることです。嫁いでしまった私や兄弟らが実家に帰ると今でも大量のお煮しめを用意して迎え入れてくれます。「正月はね、バタバタしないでゆっくりと過ごすもの。元旦早々からバタバタ過ごすと1年中、バタバタ忙しい年になる」とよく言っていました。そして、大量のお煮しめを作ってくれ、三が日はゆったりと過ごせるように作りだめをしておいていたようです。私も母を見習い、お煮しめは作っていますが、元旦の福袋買いには行ってしまいますね・・・子供にも1つずつ買ってあげたいので。
私が子供の頃はお正月が待ちどうしく 童謡の歌詞のように 指で数えて待っていました   新しい洋服を着て 親戚の人からお年玉をもらい ご馳走を食べました  気もちが改まり清清しい気持ちでした  今は普段と変わりません  さみしいですね
お酒の飲めない父のため、我が家のお屠蘇は、甘いポートワインです。家族で、一年に一度だけ使うポートワイン用のグラスで飲むワインのお屠蘇は、父の亡くなった今、忘れられない思い出です。
今年不月妊治療1年目とあって、初詣で子授御守を買ったら、妊娠しました。来月2月に出産予定で、2011年のお正月も、また同じ神社にお参りにいく予定です。
我が家のお正月は3日目から中華料理になります。なぜか恒例です。
小さい頃は父の仕事の関係で父と一緒に朝食と夕食をとることは多くて週に一回という感じでした。でもお正月になると毎年朝でも父がいて皆でおせち料理をたべていたのを覚えています。そして毎年、家族皆一年の抱負を言ってから父がお節料理の説明をしてくれました。数の子は子孫が繁栄しますようにだとか色々教えてくれたのを覚えています。私も親になれば絶対にこれを続けていきたい!
年祖母のうちに親戚が集まったときに恒例の百人一首昔からやっている大人は組み合わせを覚えていて上の句を読んでる最中に取られてしまうのが悔しくてしょうがありませんでした なので自分は坊主めくりのほうが楽しみでした 上の句を読むのはいつも祖母の役でした祖母が他界してから正月に集まらなくなりもうずいぶんと百人一首をやってません
今年のお正月は主人と息子が新型インフルエンザに感染してしまい、本当に寝てるだけのお正月でした。2011年こそはみんな元気に迎えたいな。元日から温泉旅行を計画しています。
転勤で全国各地の雑煮に出会うことが出来た。名古屋では角餅の八丁味噌仕立て、埼玉では丸餅の白醤油仕立て、大阪では丸餅の白味噌仕立て、博多では焼餅の醤油仕立てなど。
何と言っても仙台のお正月は初売り!一度全国ニュースにも出るお茶屋さんの初売りに並びました。見事おまけのお茶箱をもらいました。もう早朝に並ぶ気力はないので良い思い出です。
夫は郵便関係の仕事をしています。結婚以来、私のお正月は、駅伝とともに過ぎて行きます…。
私の場合は、比較的保守的な家庭で育ったと思いますので、元旦はあまりびっくりするようなことはありませんでした。朝、家族で食卓に着くと、無理矢理美味しくないお屠蘇を飲まされて、いわゆるおせちをいただくわけです。それからお年玉をもらって・・・今では、どれも見かけなくなりましたが、たこを揚げをして、お家の中でカルタか百人一首をして遊んでおりました。