01.お正月

生まれも育ちも北海道だった私は雪景色の印象ばかりです。でも結婚して東京に住んだとき3年間雪が降らなかったんです。当然クリスマスもお正月も美しい白が全くないので すごく物足りない感じをしたのを覚えています。4年目の冬にみぞれのような雪がようやく降ったとき、 駐車場にうっすら残った雪で 砂交じりの真っ黒な雪だるまを子供たちが嬉々として作っていたのを見て 「あーそれだけ雪だるまを作りたいと渇望していたんだな」と心から感じました。北海道に連れて行ってあげて 真っ白でふっくらとした美しい雪だるまを何体でも一緒に作ってあげたいなと思ったことをいまだにはっきり覚えています。
結婚して初めて旦那様の実家での正月でのこと。旦那様は3人兄弟。毎年、『お寿司』『カニ』『おせち』と分担制で持ち寄ってるらしくて・・・まさかの『おせち』担当に作るのもなぁ。と思ってネットで値段を見てみたらビックリ。2万円・・・。しかも取り寄せたらみんなお寿司とかにばっかりでまったくおせちの存在がなかったです。そもそもおせちは3日かけて食べるものなのになとちょっと不思議な嫁ぎ先だと思っちゃいました。
父親が忠臣蔵好きだったので、毎年忠臣蔵を見ることになりました。同じ結末なのに何が楽しみなのか未だによくわかりませんが、忠臣蔵を見ると父親を思い出します。
何かと忙しい年末年始。大掃除、お節の準備。門松作りなど子供心にも思い出はたくさんありますが、私は餅つきが一番記憶に残ってます。幼少の頃は電気餅つき機などある筈も無く「杵と臼」です。ただ見てるだけの歳から年々手伝う様になり、成長に合わせるようにつき始めました。お正月用の餅は何回かに分けて沢山作ったのを覚えてます。鏡餅も大きかったですし、お婆ちゃんを慕って毎年伯父さん、伯母さんが来ます。帰りに手土産にしてたのでしょう。お婆ちゃんと二人で作った事もありました。大汗掻いて搗きたての餅を二人で食べた時、目尻が下がったお婆ちゃんのあの笑顔が今も忘れられません。
子供のころ、釧路に住んでいました。いまでこそ炭鉱が閉鎖され、失業保険受給率が高いことで知られるようになってしまいましたが、当時は炭鉱で働く人が多く、活気ある町でした。炭鉱で働く人やその家族しか入れないお店もあり、私の親は教師でしたので、羨ましく思ったものです。お正月には鮭やいくらなどの海産物、おもちをお腹いっぱい食べました。今は一年中なんでも食べられる時代ですが、当時はごちそうでした。いい思い出です。
家族全員で紅白歌合戦を見て、そのあと食べたおもちがおいしかった。
私は元旦生まれなのでお正月はとても思い出深いです。小さい頃は、お誕生日プレゼントをもらい、お年玉をもらい、おせちを食べてケーキも食べるというとても1年の初めから豪華な日でした。
そうじ、おせち作りと大忙しの大晦日から数時間眠っただけで元日…。ゆくっり眠りたいけれどお正月そうそう寝坊はできず、雑煮に作りが事始め。毎年同じお正月。
しばらくツイてなかった友達と数年前の元旦になってすぐに初詣に行って、帰りにコンビニからでたら、でっかいネズミが横切って友達の足の上を走って行きました。友達は腰を抜かし泣き叫んで「さっきお参りしたばっかりなのに新年からツイてないやん!」と言ってましたが、しばらくしてその年に生まれて初めての彼氏ができたと喜んでいました(^^)
来年の元旦は息子の初めてのお正月です。去年まではそれぞれの実家の親と過ごすことが多かったですが、これからは親子3人新しいお正月の過ごし方が始まると思うと、楽しみです☆
子供のころ、家族5人でよく遊びました。毎回、クリスマスにサンタさんからもらったゲームで、遊びます。ある年は、「人生ゲーム」など、ボードゲームが中心でした。毎年その新しく増えたゲームと、トランプ遊びをして過ごしました。合間に、食べるのはちょっと贅沢なお菓子。たとえば、エコルセとか。普段のおやつとは違う、デパートのお菓子でした。今思えば、サンタさんは、お正月を意識してプレゼントを選んでくれていたのですね。
子供の頃のお正月は、祖父の家に父の兄弟一家が集まり、飲んだり食べたり歌ったりと、大騒ぎし、お年玉も一杯貰って、楽しかったです。今はいとこもそれぞれの家庭で過ごし、むかしみたいな賑やかさはありません。懐かしいです。
誰も来ず、どこへも行かず、ラジオ漬けでした。やがてそれがテレビ漬けに変わりました。そして、いま余生という位置で新年を迎えようとしています。
おばあちゃんが毎年作ってくれたポテトサラダが大好きでした。なかなか同じ味が出せません。。
私の母が母から教わったお煮しめを毎年作っていることです。嫁いでしまった私や兄弟らが実家に帰ると今でも大量のお煮しめを用意して迎え入れてくれます。「正月はね、バタバタしないでゆっくりと過ごすもの。元旦早々からバタバタ過ごすと1年中、バタバタ忙しい年になる」とよく言っていました。そして、大量のお煮しめを作ってくれ、三が日はゆったりと過ごせるように作りだめをしておいていたようです。私も母を見習い、お煮しめは作っていますが、元旦の福袋買いには行ってしまいますね・・・子供にも1つずつ買ってあげたいので。
私が子供の頃はお正月が待ちどうしく 童謡の歌詞のように 指で数えて待っていました   新しい洋服を着て 親戚の人からお年玉をもらい ご馳走を食べました  気もちが改まり清清しい気持ちでした  今は普段と変わりません  さみしいですね
お酒の飲めない父のため、我が家のお屠蘇は、甘いポートワインです。家族で、一年に一度だけ使うポートワイン用のグラスで飲むワインのお屠蘇は、父の亡くなった今、忘れられない思い出です。
今年不月妊治療1年目とあって、初詣で子授御守を買ったら、妊娠しました。来月2月に出産予定で、2011年のお正月も、また同じ神社にお参りにいく予定です。
我が家のお正月は3日目から中華料理になります。なぜか恒例です。
小さい頃は父の仕事の関係で父と一緒に朝食と夕食をとることは多くて週に一回という感じでした。でもお正月になると毎年朝でも父がいて皆でおせち料理をたべていたのを覚えています。そして毎年、家族皆一年の抱負を言ってから父がお節料理の説明をしてくれました。数の子は子孫が繁栄しますようにだとか色々教えてくれたのを覚えています。私も親になれば絶対にこれを続けていきたい!
年祖母のうちに親戚が集まったときに恒例の百人一首昔からやっている大人は組み合わせを覚えていて上の句を読んでる最中に取られてしまうのが悔しくてしょうがありませんでした なので自分は坊主めくりのほうが楽しみでした 上の句を読むのはいつも祖母の役でした祖母が他界してから正月に集まらなくなりもうずいぶんと百人一首をやってません
今年のお正月は主人と息子が新型インフルエンザに感染してしまい、本当に寝てるだけのお正月でした。2011年こそはみんな元気に迎えたいな。元日から温泉旅行を計画しています。
転勤で全国各地の雑煮に出会うことが出来た。名古屋では角餅の八丁味噌仕立て、埼玉では丸餅の白醤油仕立て、大阪では丸餅の白味噌仕立て、博多では焼餅の醤油仕立てなど。
何と言っても仙台のお正月は初売り!一度全国ニュースにも出るお茶屋さんの初売りに並びました。見事おまけのお茶箱をもらいました。もう早朝に並ぶ気力はないので良い思い出です。
夫は郵便関係の仕事をしています。結婚以来、私のお正月は、駅伝とともに過ぎて行きます…。
私の場合は、比較的保守的な家庭で育ったと思いますので、元旦はあまりびっくりするようなことはありませんでした。朝、家族で食卓に着くと、無理矢理美味しくないお屠蘇を飲まされて、いわゆるおせちをいただくわけです。それからお年玉をもらって・・・今では、どれも見かけなくなりましたが、たこを揚げをして、お家の中でカルタか百人一首をして遊んでおりました。
来年は卯年のお正月ですねぇ。子供の頃、初詣にお気に入りの『白いウサギのぬいぐるみ』を持って行き、泥だらけの水たまりに私はしっかり落としてしまったそうで…。泥だらけのウサギはスーパーのレジ袋に詰められての帰宅。母が一生懸命洗ってくれましたが、くすんだウサギに『こんなウサギは厭!!』と投げ捨てる私をたしなめるだけで、母はウサギを拾って持って行きました。そのウサギは母のウサギになり、母の部屋に行くといつも会うこととなり『あの日』を思い出しては手に取り、ヨシヨシと詫びを入れるようになりました。母は凄し!!です。
私は両親ともが3人兄弟なので、お年玉がたくさんもらえます。そのうえ、いとこの中でも一番年下なので、社会人になったいとこからもお年玉がもらえて、三が日でかなりの収入があります^^お正月のうれしい思い出と言えばお年玉です!
毎年1月2日に息子2家族が集まりが今年は2人の受験生がいて塾の休みは元旦のみだそうです。大変な世の中 昔の人間は 3ヶ日ぐらい休みだろうとの考えは通用しない、「頑張ってね」、とお年玉を準備して待っている婆です。
結婚してから、年越しは嫁のいるバンコクです。24日に出国しますが、嫁はタイ人で仏教徒だから、クリスマスなんてしないんだって。でも元日には坊さんが来て、読経して家に水を撒いてくれます。それで余ったお供えの御飯をみんなで食べます。辛い料理にもすっかり慣れました。
子供の頃お正月くるのがすごく楽しみでした。なぜかというと田舎の旧家だったので親戚が多く、新年の挨拶に沢山来られその人たちからもらうお年だま貯まっていくのがすごくうれしいかった思い出があります。
最近は顔を出すのが辛くて雪の中数時間近くの公園で過ごすことが多いです。たぶん今年も・・・。
お正月によくお汁粉とお雑煮を食べ、家族みんなで過ごしていました。そんな当たり前が今では、懐かしいです。
いつもおばあちゃんの家に行くのが恒例です!そしてみんなでおせち料理を食べながら、新年を祝うというその空間が大好きなんです!
毎年お正月は自宅で家族とのんびり過ごしています。バタバタと年末を迎え、年越しの準備が終わったと思いきや、新年を迎え、気がついたらもう仕事始めと、あっという間に楽しい時間は過ぎてしまいます。ここ最近は1年が過ぎるのが早く感じる様になり、もう今年も終わりかぁと実感する様になりました。今年は持病の悪化で入退院の1年だったのですが、来年は年女なので穏やかな良い1年になると良いなと思っています。
数年前の正月に、帰省できなかったため、両親に自宅に来てもらいました。そのため、お煮しめ等自分で作って準備していたのですが、根菜好きの父が大変喜んだのを記憶しています。私だって料理できるんですけど、と思いながらも、よかった〜という安心感がありました。
今年は義母が5月になくなりましたのでお正月の祝いは一切しません。我が家では今年92歳の母が健在なので毎年お正月には親戚一同が20名近く集まります。そのため31日は家族総出のおせち作りで1日が終わります。ただそれもお正月に孫やひ孫にうれしそうにお年玉を配る母を見ていると疲れも吹っ飛びます。今年は親戚も集まらないので母は少し寂しそうです。
私は幼少の頃、毎年両親の実家(福島県)へ行ってました。いとことおおみそかに除夜の鐘を鳴らして、次の日はゆっくり起きてお餅を祖母やみんなと食べて・・・今となっては良い思い出で、10月に4年ぶりに祖母の家へ私の両親と夫、子供達と行ってきました。除夜の鐘を一緒に鳴らしたいとことも再会出来て、大晦日やお正月が思い出されました。
やっぱり、家族揃ってこたつを囲み、おせち・みかんなどをつつきながら、お正月特番のテレビを見ていた。と、いうことが月並みですが一番の思い出です。今は、親元を離れ新しい家族とともに同じようなお正月を過ごしています。
お正月といえば、福袋やセールで毎年のように年明けそうそう買い物にでかけることが多いです。昔と違い、年始といってもデパートでも元旦から営業しているのは大変だと思います。元旦は静かに家にいたいです。
お正月は親戚が揃うのが楽しみでした。
小さい頃はお正月はおじいちゃんおばあちゃんからお年玉をもらうのが楽しみのひとつでした。今はすっかりあげる年齢になりましたが、身内にあげるような子供がいないのでいいのか悪いのか・・・?
旦那さまと二人、マラソンが趣味なので、走りまくり、食べまくりの正月です。毎年どこにも出掛けません。
お正月にはいとこがたくさん集まってにぎやかで楽しかったな〜。今、わが子にはいとこがあまりいないので少しかわいそう。
元日が誕生日なので祝ってもらった記憶がありません。ですからお正月になるとなんかスッキリしない気持ちになります。
子供の頃、お正月は数ある年中行事の中でも一番好きでした。親戚が集まって、美味しい食べ物があって、冬休みは宿題も少なめでしたし・・・今でも、家族揃って食事の時がもてる唯一の時間かもしれません。
毎年、主人の実家へ。親戚一同が集まるのでワイワイと楽しいですね。おばあちゃんの手料理がとても美味しい!
特に派手なことはしません。家族そろって御節を食べます。 年に一度だけ家族みんなでご飯を食べます。 それが一番の思い出です。
我が家は本家になるのでお正月は人の出入りが激しく、とても気を使うこともあるのですが、それと同時に久しぶりに会える方(妹夫婦や義理のお兄さん夫婦・昔からの友人など)の元気な姿を見たり話をすると懐かしさを覚えます。そんな時にお茶とお茶菓子はかかせませんね。お土産で頂いたりこちらで用意したりとついつい食べる機会は多くなりますが、1年ぶりに元気に会えるのは楽しみです。
田舎の親戚の家に泊りがけで出かけ、多くの人たちと出会い、またお年玉をもらったことを覚えています。前回はプレゼント当選でありがとうございました。
毎年鏡餅を見るたびに、スタイルがお餅に似てきたなと感じてしまいます。。。。☆
子どもの頃、お正月は着物着せてもらって、おしゃれして、初詣に出かけました。親戚が集まって、花札や百人一首もしました。
父は売薬業で、一年のほとんどを関東中心に出稼ぎで家を空けていた。そんな父も正月はいつも帰省してゆっくりとこたつでくつろぎ、NHK「青年の主張」を見るのが恒例行事だった。 正月になると、今は亡き父の温和な顔を想いだす。
娘たちが小さかった頃、お年玉をもらって喜ぶ顔が忘れられません。
我が家のお正月は家族で初詣に行き、帰りに商店街をブラブラ…。そして数年前から、美味しいとんかつ屋さんで食事をして帰る、というのが慣わしになってます。子供のころは、お正月にお店なんて開いてなかったのにね。その分、TVの正月番組を楽しみ、家族でゲーム大会、凧あげなど楽しんでました。なんかのんびりしてましたね。
結婚してから27年経ちました。 お正月に限らず、よく実家に遊びに来る主人の妹家族です。 甥っ子たちの面倒も見つつの お正月でしたが、今では、わが娘同様、成人して立派になりました。10人分の家事は大変ですが、忙しくもやる気になるお正月です。おかあさんとして、がんばれる限り、がんばるお正月なんです。
私の故郷は雪国です。子どもの頃、毎年大晦日はばたばたと年越しの準備をし、夕方までに家族全員お風呂に入り、紅白歌合戦を見ながら夕食。ここで、お煮しめなど、お正月のお料理を食べ始めました。そして、21時から22時頃、年越しそばを食べ、紅白が終わると同時に防寒対策をしっかりします。「行く年、来る年」を見ながら、真っ白な外へ出ていき、近所の神社へ行くと、火が焚かれ、たくさんの人でにぎわっていました。普段は夜中に出かけることなどないので、わくわくしながらお参りをし、甘酒をいただき、あとは家に帰ってバタンキュー。それが子どもの頃の、お正月でした。
決まって元旦から初売りに行きます!両親、祖父母、姉妹とみんながそれぞれバラバラに出かけていって、福袋を買い夕方からお披露目パーティー・・・親戚も集まってきて大騒ぎ!!楽しいですよ〜
私は関西生まれですが、父が四国出身だったためお正月のお雑煮はおすましで育ってきました。私は嫁ぎ先も関西なため、お雑煮は白みそ仕立てです。初めは戸惑い、味もなじめませんでしたが今では普通になりつつあります。でも時々おすましのお雑煮も恋しくなり、おもちが余ったときなどに子供たちに作ったりしています。子供たちはおいしいと言って食べてくれ、なんとなく嬉しい気持ちになります☆
こどもの頃のお正月は 寒いのとお餅をたくさん食べたことを覚えています。郷里茨城では お餅に納豆を絡めたり、青海苔を搗きこんだりして食べるんですよ。都会の餅は 薄っぺらくて頼りないです。
家族総出で野沢菜付けに始まり大掃除おせち作りと大変ですが一年の締めくくりでそれぞれ分担を決めて取り組みます。ひといきには美味しいお茶と和菓子が欠かせないのでご褒美に美味しいお菓子が当たるといいですが
昔からお正月はみんなでこたつに入りながら新聞に載ってるクイズや間違い探しをするのが恒例で今でもこれを楽しみにしています。
子供の頃から家族で『人生ゲーム』をするのが定番でした。今、自分や兄弟に子供ができて、子供達と一緒にお正月に集まるとしています。
年末年始には沖縄にいる主人の弟一家が帰省して、2週間ほど滞在します。そして毎年1月1日には私の実家へ、その弟一家と総出で挨拶に行きます。彼らが結婚する前から一緒に行っていて、今では子供が増えてきたので、母は子供たちにパン教室やらお菓子教室をひらいて楽しんでいます。そして、今年のお正月は新型インフルエンザが流行り、子供がうつると困るとのことで、弟の奥さんの両親が東京から我が家に泊まりにきました。毎晩宴会で、太りました!お正月はいつも楽しくて、あっという間に過ぎます。家族が増えた喜びを感じる時期ですね。
子供の頃、父の弟姉妹・祖父の兄弟が多くて、従兄弟も多くて、たくさんの親戚が集まるので、母は大変でした。布団は8畳2間いっぱいに並べて、皆がいっしょで、明け方までにぎやかでした。たくさんの茶碗蒸しは、準備された具とだしを子供の私がどんどん入れていくみたいな。民宿みたいでした。亡き母は、祖母に鍛えられて、頑張っていましたね。48歳で倒れて、53歳で亡くなりましたが、来年、私も53歳です。娘たちが年頃になり、思い出すことが多いですね。
85歳の一人暮らしの父のもとに帰ります。いつも家族でかえっていましたが 子供たちが大きくなって それぞれの用事もあり なかなか家族で帰る事ができなくなったのが 寂しいですね。
実家に帰省するのが恒例になっていますが、帰省するたびに親戚の子供が増え、年々出費が大きくなりがっかりする思い出ばかりです
子供の頃楽しみにしていた「お年玉」を、今は孫達に渡す立場に・・・(><)順送りとはいえ、なんだか切ない気分です!
独身の頃は、サッカー観戦に燃えていて…アントラーズが天皇杯に勝ち残ると国立競技場まで寒い中応援に行ってましたね。今は旦那が正月も仕事で…ひとり寂しくTV観戦しています。
家族4人で、北海道から九州まで電車で旅行に行きました、写真が沢山残っています。
毎年2日にお宮参りに行くのが帰省して時の一台イベントだが数年前に母がなくなり、お宮参りに行く習慣が途絶えてしまった。あの頃はめんどくさいなと思っていたが一年のはじめでお宮様にお祈りしたものだった。もうあのコロが戻らないと思うとなんだか寂しいお正月だ。今年は絶対にお宮参りをしよう
まだ小学生の頃、冬休みにおばあさんのところに行った時に、土間で杵と臼でおもちをついたのが印象に残ってます。石の臼だったかが珍しかったです。
子供の頃、コンビニなんて朝パンが切れたときに急遽買いに行くだけしか使った事がなかったのに、とあるお正月の三が日、お出かけ途中でコンビニでおにぎりを買ってもらえ、ものすごく感動した思い出があります・・・。
私は小学校時代に近所の子供達と羽子板やゴマ遊びなど正月遊びを楽しんだことを今でも懐かしく思い出しています。
お正月の思い出といえば…お年玉です。親戚や知人の挨拶回りということで、両親に連れられあっちへ行ったりこっちへ行ったり…。小さいながらにも気を遣うので、ぐったりだった記憶がありますが、いざお年玉をもらえるとなると、何故か一瞬にして疲れが飛んでいったものでした。歳を重ねた今は、気遣い+痛い出費ばかりで、別の意味でぐったりです。
お正月にお腹を壊し、おかゆしか食べられなかったのはつらい過去の思い出です。
去年のお正月、自分の実家での介護に疲れていた私は旦那の実家でお酒をがぶ飲み。ただでさえ弱いのに、初詣でに行く途中での山道で酔ってダウン。ボロボロになった思い出です。
小さい頃はよく親戚が集まって、いとこで「かるた」「凧揚げ」「すごろく」「トランプ」などをしました。楽しかったな。年齢が上がるにつれて、いとこは、ひとりひとり泊まりにこなくなって寂しかったですが。でも、お正月が来るとあの頃の事を思い出し、親戚っていいな。と思います。
お正月にお雑煮を食べてたら歯が抜けました。
彼氏と二人で初日の出を見にいったことです。今でも鮮明に思い出せるくらいきれいでした
お正月はいつも決まった神社にお参りに行き家族でたい焼きとたこ焼きを食べてます。
お正月はいつも決まった神社にお参りに行き家族でたい焼きとたこ焼きを食べてます。
年末から時間をかけて家族のためにお節を作ります。息子にアレルギーがあるため手作りを心がけています。市販のもののように立派なお節ではありませんが、みんながおいしいといって新年から笑顔を見せてくれることで私は1年家族のためにがんばれるんです・
昔はお正月といえば、家族全員で掃除をし餅を準備し、正月は家族で遊ぶといったのが多かった様に思います。
早く過ぎ去って欲しいという願いだけだった。貧しかった思い出が過ぎるである。
祖父の誕生日が元旦ということで、親戚一同が集まって、お祝いしました。お料理も食べて、ケーキも食べて、楽しかった思い出です。祖父はまだ元気なのですが、いつのまにか、集まりが途絶えてしまいました。また、以前のように、集まれたらいいなあと思います
たいてい寝正月となり、初詣も初売りも行かずに過します。しかし、子供のころに一度家族で初日の出を見るために山登りをしたことが思い出に残っています。子供の私の体力では、結局初日の出にも間に合わなかったし、登山はとてもきつかったですが、いまだに思い出に残るお正月です。
家が貧乏だったので、子供の頃お年玉をもらった記憶がない。 せめて自分の娘だけはとお年玉をそこそこあげた。 その娘も今は三人の男の子の母親になり、今はその孫にお年玉を あげるようになった。
子供のころ、お正月に着物を着せてもらったのは良かったのですが、赤い髪飾りをつけると駄々をこねました。当時は三が日はどこのお店も休みで子煩悩な父が町中駈けずり回り赤い髪飾りを手にいれてくれました。今は、亡き父ですが本当に申し訳なかったと思っています。、
私が子供のころは正月は空気が澄んでいてとても静かだったです。
徹夜マージャンをやるのが恒例になっています。1日は昼過ぎまで寝て、2日、3日は箱根駅伝を見る。楽しみです。
やっぱりバーゲンでしょう。テンションが上がって意味不明なものを購入しちゃうときもありますが。。。福袋とか残り僅かとか言われると弱いし。とっても楽しいですね!
子供の頃はいつも近所のお寺で鐘を付いていたなあ。
妻の実家で、美味しいお酒と、料理がお正月の楽しみです。
ここ数年は、おせちと、庭でバーベキューをすることが習わしになっています。そして今年新たに計画中なのが、流しそうめんです。夏に出かけた先で痛く気に入った息子のリクエストで行う予定です。正月ぽくない点が子供には受けるようですね。
社会人になって正月を迎えると、お年玉をあげる立場になっていて大人になったなぁとしみじみ思います。
子供の頃、日本のお正月というものはこういうものだよと、おせちにおとそ、お雑煮など、正月ならではのものを毎年用意してくれてた両親。 今はまだ子供たちも小さいけど、小学生くらいになったら私も母と同じに用意してあげれるだろうかと思うと両親にとても感謝します。 徐々に子供たちに用意してあげれるように日本の心を伝えていけれるとうれしいです。
子供の頃からお正月って正直あまり好きではありません。子供の頃はTVをつけても面白くないし、どこかへ出かけることもなかったし、今みたいにお店はどこも開いてないし…
高校時代の友達の家にお正月に遊びに行った時、世の中には何とご立派なお母さんがいらっしゃると感心しました。彼女のお母さんは、パンも味噌も手作りされる方で、おせちも全て手作り、おせち以外にも、いろいろな料理が並び、とてもおいしく感激しました。他人からしたらうらやましいですが、友人はジャンクフードが食べたくて仕方なかったそうです。
やっぱり、子供の頃はお年玉が嬉しかったです。
叔母の家に集まって、ミカンやお菓子を食べながら、百人一首、坊主めくり、ゲームなど、大騒ぎをしたのが懐かしい。本当に本当に楽しいひとときでした。それぞれ独立して、物理的にも心理的にも遠くなってしまった間柄が、この時期になるとひどく切なく感じます。
両親が健在のころは、毎年、夫婦と子供たち3人で泊まりにいってました。三が日は、おせちや豪華なごちそうが並び、母は大変だったろうなと、懐かしさとともに、申し訳ない思いです。今では、両親も亡くなり、今は我が家に子供たち家族が来るようになりました。両親から受けた愛情を子ども達に伝えたい思いでいっぱいです。
我が家に親族が集まり、親の思い出話や昔話をいたします。準備は大変ですが楽しみです。
実家の庭の金柑で甘露煮を作ります。おばあちゃんからの作り方と味ですが、とてもかないません。毎年懐かしく食べています。
毎年お年始の挨拶に行くと祖母の家では満漢全席のように祖母の手料理が用意されていました。今は毎年行く事ができないけどみんなで食卓を囲んで祝うお正月は格別です!!
長男を出産した時、黄疸がひどく一度退院したのち再入院をしました。出産したのが12月末。お正月は実家で過ごす予定が、1月1日から3日までの正月の三が日を産婦人科で過ごすはめに…。出産祝いを兼ねて、義父と義母が超豪華なおせち料理を実家に送ってくれたので、病院食をキャンセルして、そのおせち料理を病室で食べました。そんな入院暮らしの疲れから、その後私がインフルエンザにかかったり、と、とんでもない出産&お正月になりましたが今ではいい思い出です。その長男は、さ来週で3歳になります。5月には元町本店にお邪魔して、きんつばソフトを1人でぺろりと平らげたんですよ!
毎年、お正月は母の実家で親戚中が集まってにぎやかに過ごしていました。従兄妹と会うのが楽しみでしたが、今はそれぞれに家族ができ、まだ独身の立場では足が遠のいてしまっています。来年のお正月も、微妙です。
実家は自営業だったので、お正月も初売りのある日は仕事をしていました。母はとにかく忙しくて、子供心にも一緒にいてほしいなんてわがままを言うのをはばかるほどでした。祖父母とも同居でしたし、心の休まることもなかったのではないかと、今自分がこの年齢になって改めて母を尊敬する季節です。母は料理の上手な人で、大みそか元旦のお料理は本当に楽しみでした。今年は帰省できないので残念です。
今年の春に結婚したので、今年は家族で過ごす子供の頃からのいつものお正月というものが最後でした。いつも通りのお正月でしたが、母が作った料理や、家族揃って行く初詣や、いつもより気持ちを入れた思い出深いものになったと思います。
祖父母が健在だった頃、二人はお正月になるとかならず着物を着ていました。そんなに上等なものではありませんが、きちんとした気持ちで新年を迎える気持ちの表れだったのだと思います。その頃はたくさんの親戚、仕事関係の人が挨拶に訪れ、それはそれで大変だったのですが・・・。今は家族と、ごく近しい親戚が顔を見せるだけ。子供の頃は「正月は特別な日」でしたが、最近は家族でのんびりする休日に変わってきたなぁと感じます。それでも、祖父母をみてきたせいか、いまでも元旦は何か新しい物を身につけ、自分なりの新年を迎えています。
子供の頃は母方の実家にいつも帰省していました。お仏壇の前にエコルセの大きな缶がフタの開いた状態でお供えされていて、キラキラの包み紙に魅かれて見ていたら、おばあちゃんが「そんなにみてたら穴があくわ」と言って、私たち姉弟にひとつずつくれました。すごい高級なお菓子に見えて、ゆっくりゆっくり食べたのを思い出しました。
あっという間に1年が経ってしまいましたね。我が家は毎年正月は信州でワンコ達と雪遊びです。今年の正月は雪が少なかったので、来年は期待して出かけます。
私の実家でのお正月の思い出は何といっても、元旦には家から出ないということです。お年玉を使いたいと思って出かけたいと言っても、親に元旦からお金を使うということは一年間散財の一年になると言われてたので元旦は家でのんびり正月気分を味わうものだという思い出がしみついてます。
最近は家族、親戚でお昼に外食しに行き、夕方まで飲んで楽しくお正月を過ごすようになりました。片付けもしなくてよく、気分良くお酒が飲めます。
母が作るお節料理の紅白なますが大好きでした。
高校の時、バイトは禁止だったのですが、こっそりとお正月に「最上稲荷」の参拝道の飲食店で泊り込みのバイトをしたのが思い出かなぁ。。ちなみにこの時から、一緒に参拝した人とは、別れる!!というジンクスが生まれました。。。
家族でお正月に北海道へ旅行に行くのが毎年恒例になっていましたが、子供が大きくなり親離れしていったので来年からは行かないことにしました。親離れしていって寂しいですが、子供の成長を実感できるのでなんともいえない心境です。
正月は、食事して間食して必ず体重が増えてしまいます。間食はチョコ系が多いです。
何年か前、彼女がノロウイルス?にかかり高熱でフラフラしていたのですが、ただの知恵熱かと思い「歩けば治る!!」といろいろ振り回し歩かせ続けました。翌日、治ったようなので、今では笑い話ですが。。。
子供のころのお正月は 商店が休みになるので、年末に買い出しをして大変だったことが思い出です。 今は元日から多くの店が営業してますからね。
毎年恒例の初売り!いまでは娘たちのほうが張り切っています・・すっかり受け継いでくれました〜!
昔は本家(祖父・祖母がいる家)に新年のあいさつをする事が一年の始まりだったのですが、最近は両親や兄弟までの集まりで新年の顔合わせを行っています。新年は大人数で滅多に会わない人にも逢えるのがとっても楽しみだったのに、せちがない時代になりました。それでも逢える家族(親類)には少しでも喜んでもらいたいので美味しいエコルセを送りたいですね。
洋服と下着を、新しく購入してもらい嬉しい気持ちで新年を迎えていました。
毎年川崎大師へ初詣でへ出かけます。
正月のコマとかタコとかなくなって、今の子はゲームなんてすこしさみしいです。
初詣で参拝した時、後ろの方から投げられたお賽銭が襟元からスポッと入り、帰宅して着替えると、100円玉が出てきました。私はラッキーでしたが、100円のお賽銭を奮発した人ごめんなさいでした。